意思が水のようにながれていく-その3
今回でこのシリーズは最終回です(その1とその2)。急に恐ろしいほど多忙になり、留年と夢が潰える危機に陥った僕ですが謎のバカ力で全て乗り切りました。その後、どうなったのでしょうか。
TOEICも確かな手ごたえと共に終え(後の発表でスコアが800だったことが分かる)、留学先の先生との面接でも難色を示されるどころか「早く君と働いてみたいよ」と良いお返事を頂けた。そのほか立て込んでいた、本試験や再試験も全て乗り切り、提出物も期日に全て提出。
そんな、最良の結果を残した僕は完全に浮かれていた。「同じ事をこれからもやればいいのだ、これで乗り越えられないものなんて何もない。24にして、やっと上手く生きれるようになったぞ!!」 今思えば恥ずかしい限りだ。
当然、僕は今でも乗り越えられない物だらけだし、日々を溺れながらもがいている。どっちが前で、沈んでるのか浮上してるのかもわからないまま時の流れに翻弄されてなんとか生きている。つまるところ、上手くいったのはあの時だけだった。
多忙な時は、集中のスイッチを入れる事が出来たし、変なリズムだったがきちんと生活リズムをつかんで日々の勉強やタスクに割く時間があった。そして、娯楽も良い塩梅で楽しめていた。一言でいえば充実していた。
だが、多忙な時期を超えると、集中のスイッチはショートしてるし、生活リズムは乱れてギリギリまでベッドでだらだらするし、娯楽も自分がしたいものをするのではなくスマホに操られるようなものばっかりだった。
「あぁ、また見事なう〇こ製造機に成り下がってしまった、、、」と呑気に思う日々に戻ってしまった。違ったのは「俺は本気だせばなんでもできる」と勘違いしたくらいだ。4浪が聞いて呆れる。そんな折に、ふと前回の診察時に交わした精神科医とのやり取りが思いだされたのだった。
「本田さん。言い方は悪いですが、あなたは前もって気を利かして色々と準備するなんてのは出来ませんよ。それと、一度に一つの事しか出来ないと思います。だからあれこれ考えずに、自分がストレス感じない程度に目の前の事をやるのがいいと思います。むしろ、前もって色々やろうとすると結局できなくてストレスが溜まっていくだけです。
本田さん、あなたは直前にならなきゃできませんよ。期限や強制力、人の目もない状況だと、結局楽な方向に流れていく事を自覚してください。そして、やりたい事をたくさん挙げて一度にやろうとしても、今のままでは失敗の数とストレスが溜まっていくだけです。
本田さん、あなたはご自分が思っているよりも高いプライドを持っています。それを自覚して環境を変える努力をしてください。あれこれ考える前に、自分が為すべきことを為すために必要な要素を揃える為に動いてください。」
ここまで捲し立てられたわけではないが、総じてこのような事を言われた。この言葉を、診察室を出るときに感じていたショックと共に思い出していた。すると、「自分は何か迫る事が無いと何もできないのではないか」という考えが頭をよぎった。
もしそうなら、自分は人生を生きるどころか生かされることしかできないことになる。やる気やモチベーションなどの内的要因でなく、商業世界や社会義務などから来る外的要因と少しの偶然で自分の人生が形作られる気がした。背中から自分の心臓が誰かに吊り下げられてるような気分になった。
僕は今医学部で学生をしているから様々な期限や試験などの責任が迫ってくる。そしてそれが基準となって生きている。だが、そんな自分がもし何も肩書も無く、お金の心配や義務の無い自由な身分に放り込まれたらどうなるだろう。
自分のやりたい事を見つけて生きていけるだろうか?主体的に自分の人生を生きれるのだろうか?スマホから飛び込んでくる情報の波に踊らされて人生を終えるだけだなのでは?見えない誰かに大衆の一部として先導される人生じゃないのか。
こんな疑問で頭がいっぱいになった。現に自分の生活を見ると堕落しきって思考を止めている。外から動かされて生きている。操り手がはっきりといるわけではないが、時には大学、時にはapple、時にはgoogle、そして時には自分の生理現象に操られて生かされている。
こんな人生こりごりだ!俺は自分で自分の人生を生きていくのだ!
そう思って自分を変えられたらどんなに楽だろうか。その試みに幾度となく失敗してるのは自分がよくわかっていた。やる気を出す方法、計画を持続させる方法、朝起きる方法、どれも何一つうまくいった試しがない。もう自分にはピノキオとして生きていくしか道は残されて無いのだ、、、
当時の僕は本当に絶望した。なんなら今もまだ。僕の語彙力じゃあの人生の主体を奪われていたと感じた時の感情を言い表せれないが、ひどく落ち込んで空っぽになったのを覚えてる。人は絶望したら無気力になる事を当時実感した。
しかし同時に、そんな空っぽに何か入れてくるのも結局外の世界なのだった。
落ち込んでる僕を、そんな気もしらずにご飯に誘ってくれたのは、一緒に住んだこともある、とても仲の良い友人だった。その友人は悩みを色々と抱えてるようだったが、当時の僕には正直どうでもよかった。ただ、少しほっとしたのを覚えている。一緒に食べた吉野家はとっても美味しかった。
自分にも、唯一希望があるとしたら他人だと思う。僕は何故か、家庭教師や友人との作業は人一倍頑張れるのだ。理由はよくわからないけれど、「自分のために」よりも「誰かのために」の方がキチンと人生を生きられる。もちろんうまくいかない事の方が多い。周りからの評価も、不器用なりになんか頑張ってるよね程度のものだ。
僕は聖人じゃないから、承認欲求や外面を整えるためなのか、それともピノキオにおけるジミニーを探してるからなのか、どれが原動力かわからないが、とりあえずそんなに綺麗な物は自分の中に無いと思う。僕は自分勝手な人間だ。それでも、虚勢かもしれないが他人が関わると少し強くなれる。
とりあえず僕は誰か他人と共に、もっと言うと利用しながらじゃなければ生きていけない。そういう結論に至って、心底納得した。同時に、少し開き直れた。どうせ自分が操り人形なら、操り手を選ぶくらいはしようと。僕がもし列車なら、きっとレールの上しか走れないし僕の場合はその操作も上手くできない。でもレールくらいは自分で選ぼうと。そのあとの事はもうあきらめよう。
それからの僕は、ほんの少しだけ意識が変わった。きっと環境を変えようと心の底から納得したんだと思う。担当医に言われてから随分と時間がかかったし、まだ始めたばかりだけど。目標を、達成したいものに置くのではなく、やりたい事や為すべき事がしやすい環境に身を置く事に変わった。ハードルもゴールも低くなったが、少しは自分で生きれるようになったと思う。
きっと、自分の意志で動いて生きていける人なんていないんだ。最近はそう思う。その場その場で持った自分の意志は、どうせ留まる事は出来ずに外からの影響により流されていく。そんな中で僕が出来る事は、また流れて入ってくるものに自分の希望に沿うものが少しでも含まれるように計らう事。たぶん、それくらいしかできないし、しないほうが良い。
守るものも無いし切迫した義務も無い今の僕は、とりあえずこの生き方で良いかなと思っている。それでも割と難しいし、それにおそらく死ぬことは無い。もちろんわかりやすい模範的な良い人生のモデルとは違うし真の主体性はないかもしれない。でも、それでいいやと今は思っている、、、
おしまい
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意思が水のように流れていく−その2 | 玄冬堂
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