25歳はアラサー界の赤ちゃんでおっさん

 ラーメン屋でバイトしていると様々な人の食事の様子をみる事ができる。特にうちの店は漫画がたくさん置いてあり「ラーメン食べるってよりも漫画を読みに行く」って揶揄されるような店だから、一人でくる客が多くそのほとんどは漫画と共に席につく。

 

食事中は漫画を読みながらラーメンを啜る人、ラーメン食べる時は漫画を完全に中断する人、咀嚼時だけ漫画を読む人、、、、などなど。食事マナーや店の漫画などに気を遣う人、気にしない人様々だ。別に僕は他の客に迷惑さえかけなければ好きなように食べ読みしてくれて構わないと思う。まぁ、ただのバイトの身分なんですが。

 

 

余談だが、以前、漫画とスマホと箸を同時に操っていたリーマンをみたけど、あの人マルチタスクしすぎだろって思った。絶対、視覚と味覚がごっちゃになってる。とんこつ味するツイートしながら、タイムラインを眺める様に刃牙を読み、呟くように麺を啜る。なんとも風情があり乙なものですね。

 

 

すっと観察して思うのが、客達にはある程度の法則がある気がする。たいてい「ながら食い」する人は完食後も漫画を読みながら居座る。完食後テーブルに肘を着きながら、顔もだんだんと傾いてきて漫画を食い入る様に眺めるおっさんが完成する。中には読みすぎで目が疲れたのか、メガネをデコに掛けた状態で読み続けている人までいる。そんなに夢中になれるものがあるなんて素直に幸せだなと思う。

 

 

ちなみに漫画読みながら居座るのは大体おっさん。うちの店は昼も夜も深夜もおっさん達の平和な憩いの場。そんなおっさん達を皿洗いながら観察するおっさん僕。とんこつの匂いでもしてきそうな地獄絵図ですね。

 

 

おっさんおっさんともう何回言ったかわかりませんが、近頃僕は確実におっさん化してきていると感じる。少し興味深いのだけれど、そもそも「おっさん」って暗黙の内に共通認識されている様式の一つだよなぁと思う。年を取れば誰でもおっさんになるわけでもなく、逆に若かったり、はたまた女子でさえもおっさんっぽい人はいるわけで。

 

 

「おっさん」の定義なるものを学校で習うわけじゃないけど、確かに自分がおっさんの様式にハマったなぁと思う瞬間が増えてきた今日この頃。僕も気づけば25歳でアラサー界の最年少、そしておっさん化の片鱗が見える歳だ。

 

 

急に下品なカミングアウトになるが、僕は小学生の頃に友人から「カリビ◯ンコム」の存在を教えてもらい、飛び級の如くアダルトなサイトを嗜むようになった。グラビアなどには興味が無く、着衣の良さを理解せぬままに布の向こうを垣間見る事に喜びを覚えていた。

 

 

そのまま中学、高校と成長し、テレビ女優やアイドルに興味を示さないまま(セクシー女優は大好きだった)25歳まで来てしまったが、最近よく雑誌の水着グラビアなどを見るようになってしまった。巻頭でキラキラした笑顔を振りまいてくれる彼女達に、昔は全く惹かれなかったが最近はどうも見ないわけにはいかない。

 

 

彼女達の若さや純真さや、なんとも言えないキラキラした感じが全部自分から抜け落ちたからかもしれないが、どうしても確認せずにはいられないどころか水着グラビアを眺めた暁にはちょっとした満足感すら得るようになった。まるで未履修の単位を回収するかのように、今は真面目に「グラビア鑑賞」という講義を受けているようだ。

 

 

このように、すべての単位を取得し終えたであろう僕を待ってるものは言うまでもなく「おっさん化」だ。僕がバイト先で観察してきたおっさんの様に。少し出た下腹と共にラーメン屋に入りグラビアのある雑誌と共に着席。水着グラビアを眺めながら、おっさん独特の上から目線の講評を思いながら、麺を啜って水をイッキする。スープは胃もたれするから飲み干せない。孤独のグルメも真っ青なおっさんぶりだ。

 

 

自分がおっさんの振る舞いをしてるなぁと思う瞬間は他にもある。例えば飲みの帰りの事。一人家に帰り、返事のない「ただいま」を呟いた後、ワンルームの電気を付けると無性に寂しくなる。寂しさでパニックになる僕は、まるで夏の虫の如く、光や人がいる場所を求めて彷徨い、そして大抵行きつく先はコンビニ。用もなしにとりあえず近所のコンビニに出向く。

 

 

コンビニでは少し甘いものやお茶を買ったり翌日の朝飯を買ったりヤケ酒を買ったり、様々だ。店員も顔馴染みになってしまい、僕がd払いを使う事や、よくわからない見栄を張って箸を2膳貰う事など覚えられてしまった。そして、会計を終えコンビニを出る瞬間また寂しさを抱くと共に、「深夜」「コンビニ」「孤独」とおっさん化の足音を耳にしながら外の闇に包まれる。

 

 

まぁ、これはおっさん化してるというよりただの女々しい寂しがりやのオスってだけかもしれないが、でも24歳の僕には無かったものだ。何故だろう、アラサーに仲間入りしてからこういった現象が起こるようになってしまった。無意識に焦っているのかもしれない。

 

 

 

特にイギリスへの留学を終えたばかりの去年の年末が酷かった。向こうではルームメイトがいたからだろうか、帰宅後に一人という空間が耐えられなかった。酷い時は寂しすぎてコンビニのはしごしたりしてた。鮭お握りの食べ比べとかもした。味はよくわからなかったけれど、セブンのが一番落ち着く味だった気がする。

 

 

そんな帰国直後のある日の飲み帰り、正確には一時帰宅後に、コンビニに出向いた時に僕はふと「タバコを吸おう」と思った。自分はもう25歳だ。実は浪人中に、恥ずかしい事に完全にイキって少しタバコに手を出したことがあったが、今ならあの頃よりは少し格好がつくんじゃないだろうかと思った。

 

 

誰か知り合いに見られるのが嫌(誰かに見られると本気の心配をされそうで)で、少し遠いコンビニに行き、タバコとライターを買った。どうせ今日しか吸わないだろうから灰皿は買わなかった。色合いが好きだという理由で昔手を出したアメリカンスピリットのターコイズにした。後、久しぶりに慣れない事にイキる恥ずかしさを紛らわせたくてレモンサワーも買った。飲み帰りだから既に酔っていたんだけれども。

 

 

 

コンビニの灰皿に行き、レモンサワーを一口飲んで初めての時みたいにドキドキしながら久しぶりのタバコに火をつけた。二回くらい吸うとすぐにヤニクラが来て、頭がボーッとして、次に吸ったら涙出るくらい思いっきりむせた。頭痛もしてきて、そういやタバコ向いてないんだった、と思い出した。ターコイズじゃなくて黄色のライトにすりゃよかったと後悔しながら、深夜の誰も居ない時間でよかったと安堵した。

 

 

 

そんなこんなで、一本吸い終わる頃にはまともに立ちつづけるのがしんどくて、近くの鉄のバーみたいなやつに腰掛けながら、「勿体ないからなぁ」と思い2本目に火をつけた。その時、遠くから2つの影が横並びに歩いてきた。彼らはこっちを見ながらコンビニに入っていった。店の灯に照らされた彼らは友人とその彼女だった。

 

 

最悪なタイミングである。神も仏も居ないじゃないか。彼女さんの方は知り合いじゃ無かったのが些か救いだったけど、「なんで寂しい現実から逃げてきてんのに、こんな辛い現実に遭遇しなきゃなんねえんだ」と思いながら、レモンサワーをイッキした。

 

 

 

すぐにその場を離れようかとも思ったけれど、タバコは火をつけたばかりだったし、なによりなんだか誰かと話したいなぁと思う寂しがり屋の自分が出てきちゃって、迷った末にもう少しその場に留まる事にした。本当、ただのさみしんぼのおっさんである。

 

 

するとその友人が店内からわざわざ喫煙所まで来て一緒にタバコを吸ってくれた。彼はヘビースモーカーだったのもあり、「彼女が買い物してる間だけ」と付き合ってくれた。なんて事ない話をしながら、一緒にさらに二本ほど吸い終わった頃に、「彼女さんの事ほっといていいの?」と尋ねたら「会計で金さえ出してあげりゃ満足するから良いんだよ」と返事が帰ってきた。実は彼も同い年のおっさんだった。

 

 

その後、レジで彼女と合流しそのまま二人で仲睦まじく家路に着く彼らを後ろから眺めた僕は、違うコンビニでストロング缶を買いもう一本タバコを吸った。その時聞いた音楽がとても染みたのを覚えてる。何聞いたか覚えてないけど、PK Shampooの「君の秘密になりたい」だったと思う、センチメンタルなエモいやつを聞いた。周りの結婚の話とかも思い出しながら、今までとは深みの違う寂しさを味わった。これもおっさん化の症状かもしれない。寂しさの質と深みが変化する。

 

 

これはもうたぶん、おっさん関係ないですね。

 

 

 

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